この言葉の語源は中国戦国時代の儒学の経典の一節であり、必ずしも良い意味で使われていないようです。確かに、喜怒哀楽の激しい人と評されると、一歩下がっておこうと思ってしまいます。ところが最近の友達、知人からの電話は、激しい口調、批判、激怒にも似たような会話になってくることが度々です。先日も家族のコロナ感染でお電話を頂きましたが、病院探しに一日中かかり、さらに自宅待機となったことから一人は保健所の紹介で成田のホテルへ、次々に家族が陽性になるも病院は受け付けてくれず、奥様に持病があることから、ファストドクターへお願いしてもだめで、救急車もその時点の状況から搬送もことわられ、奥様は今現在食事も十分取れず困っていますとのお話しです。穏やかなご主人で大きな声で話されませんでしたが、身近に一家でコロナ感染になってしまう大変さが痛切にわかりました。長女のかたは東京に下宿をしていらっしゃいましたが、やはりコロナ感染の陽性となったそうです。 即ホテル待機となり、食料も届くといった状況だそうです。自治体によって体制がすごく違うとつくずく感じましたといっておられました。 また、 昨日は、すべって腰を痛めた男性が、足も動かすのも少々きついと言われたので、家族で色々病院にあたってみたそうですが、夕方やっと対応してくれたのが船橋の病院だったとか、病院探しが大変だっという連絡も入ってきました。人ごとではありません。この大変さはどうにもならないコロナ禍の日本の医療現場の実態と分かったものの、いつ我が身にも起こるか不安です。

さて、先日は、岸内閣の組閣がきまりましたが、いつも政治談義をされる方から早速連絡があり、“旧統一教会”と国会議員の話にはじまり、メディアで報道されているウクライナ紛争、異常気象等々、声のトーンが上がったり下がったり、時には怒ったり、話す本人も疲れるでしょうが(?)、聞く方も少々忍耐を必要とする時があります。でも、これが日本のみならず世界の人々が、現在苦しみ悩んでいる現状でもあると同時に、自然の猛威にはなかなかかてませんが、戦争だけは早期終結を願うばかりです。